今は昔といいたいが、今日、明日のことですね。
3/12に時刻表の変更がある。
それに伴い列車の変更などもあるそうです。
いつも通る福知山線や山陰線を走る北近畿地方の電車が大幅に変更になる。
そうです。

電車に興味があるわけではないのですが、
今回は、毎週利用する電車の変更があるので、
僕の電車の旅のイメージのソングの歌詞とともに、
撮りためた携帯写真を少し紹介しときます。
そういえば、雷鳥もなくなるそうですよ。

電車旅行の僕のイメージといえば以下の曲
いい日旅立ち
いい日旅立ち 西へ
駅
コスモス
線路は続くよどこまでよ
にあわせて、、今回の去り行く写真をのせます。

いい日旅立ち”は1978年(S.53)に作曲されJR(当時国鉄)のキャンペーンソングとして山口百恵さんが歌いましたが、
雪解け 間近の 北の空に 向かい
過ぎ去りし 日々の夢を 叫ぶ時
帰らぬ 人たち 熱い胸を過(ヨ)ぎる
せめて今日から 一人きり 旅に出る
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 夕焼けを探しに
母の背中で聞いた 歌を道連れに
北近畿


岬の外れに 少年は 魚釣り
青いススキの小道を 帰るのか
私は今から 想い出を作るため
砂に枯れ木で 書くつもり さようならと
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 羊雲を探しに
父が教えてくれた 歌を道連れに
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 幸せを探しに
子供の頃に歌った 歌を道連れに
文殊


僕のなかの電車旅行の記憶は、
母の実家の竜野に汽車でかえるころ。
揖保川の花火とともに残る記憶 4,5歳の頃です。
それ以後は、播但道の開通などで、
車の好きな父と車の移動が増えた気がします。
出生したのは竜野ですからね。。
きのさき


こちらは2003(H.15)年のJR西日本のキャンペーンソングで鬼束ちひろさんが歌いました。
遥(ハル)かな しまなみ 錆色(サビイロ)の凪(ナギ)の海
セピアの雲は流れて どこへ行く
影絵のきつねを追いかけた あの頃の
夢を今もふところに 西へ行く
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち ふたたび風の中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
まいづる

蛍の光は 遠い日の送り火か
小さく見える景色は 陽炎(カゲロウ)か
出逢いも別れも 夕暮れにあずけたら
自分の影を捜(サガ)しに 西へ行く
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち 朝焼けの雲の中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人が居る
いい日旅立ち 憧憬(アコガレ)は風の中
今も聞こえるあの日の 歌を道連れに
はしだて


僕の中の電車の旅行の記憶は
随分ととんで、10歳頃に、弟と2人で東京まで新幹線に乗った記憶と
小学生の修学旅行の広島までの新幹線の記憶。
新幹線。憧れの超特急でしたよ。。
はしだての福知山での連結です。前半


次の曲は竹内まりあ 駅です。
見覚えのある レインコート
黄昏の駅で 胸が震えた
はやい足どり まぎれもなく
昔愛してた あの人なのね
懐かしさの一歩手前で
こみあげる 苦い思い出に
言葉がとても見つからないわ
あなたがいなくても こうして
元気で暮らしていることを
さり気なく 告げたかったのに……
はしだての連結シーン 後半


二年の時が 変えたものは
彼のまなざしと 私のこの髪
それぞれに待つ人のもとへ
戻ってゆくのね 気づきもせずに
ひとつ隣の車両に乗り
うつむく横顔 見ていたら
思わず涙 あふれてきそう
今になってあなたの気持ち
初めてわかるの 痛いほど
私だけ 愛してたことも
ラッシュの人波にのまれて
消えてゆく 後ろ姿が
やけに哀しく 心に残る
改札口を出る頃には
雨もやみかけた この街に
ありふれた夜がやって来る
ラララ ララララララ・・・・
福知山駅の表示 来週はかわってるはず

僕の電車旅行の記憶は、大学受験で
小倉から折尾というところまでのった電車です。
大阪から離れて、一人受験に行った時の記憶です。
島流しのような、記憶。
雷鳥です。


山口百恵 コスモス (さだまさし)です。電車はでないですが、、
薄紅のコスモスが 秋の日の
何気ない陽だまりに 揺れている
この頃 涙もろくなった母が
庭先でひとつ 咳をする
縁側でアルバムを 開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 繰り返す
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 沁(シ)みてくる
明日(アシタ)嫁(トツ)ぐ私に 苦労はしても
笑い話に 時が変えるよ
心配要らないと 笑った
雷鳥後ろです。


あれこれと思い出を たどったら
いつの日も一人では なかったと
今更ながら 我儘(ワガママ)な私に
唇噛んでいます
明日への荷造りに 手を借りて
しばらくは楽しげにいたけれど
突然涙こぼし 元気でと
何度も何度も 繰り返す母
有難うの言葉を 噛み締めながら
生きてみます 私なりに
こんな小春日和の 穏やかな日は
もう少し あなたの
子供でいさせてください
雷鳥の表示 新大阪です。

僕の電車の記憶は働き始めてからは、
玉造温泉病院へいくための岡山から松江の八雲
小浜病院にいくための茨木から近江今津への湖西線の新快速や雷鳥
福知山ルネス病院にいくための茨木から福知山まで北近畿
地方の病院に行くときの記憶です。
雷鳥のBODYのカラーータイマー
ウルトラマンのようですね


最後はこの曲かな。アメリカ民謡らしいですが、
線路はつづくよ どこまでも
野をこえ 山こえ 谷こえて
はるかな町まで ぼくたちの
たのしい旅の夢 つないでる

こいつはこのままのようですが、
線路はうたうよ いつまでも
列車のひびきを 追いかけて
リズムにあわせて ぼくたちも
たのしい旅の歌 うたおうよ
こうのとりという新しい電車が試運転していました。


ランラ ランラ ランラ
ランラ ランラ ランラ
ランラ ランラ ランラ
ラン ラン ラン
ランラ ランラ ランラ
ランラ ランラ ランラ
ランラ ランラ ランラ
ラン
今、ゆれてるナウ。
▲ by zuitoshou | 2011-03-11 14:56 | 徒然草