天満酒場 と 梅棹先生のテレビから
今は昔2012年1月28日土曜日
昨日の話に続いて、
先ほどのスタイリッシュなバーを
カクテル2杯で、おいとまし、
天六に向かう。
今週の月,火曜日のブログのように、
はずした日の次だったので、
足取りは軽くないが、
緒方洪庵の墓所の前をぬけて
ここに、
全く、違うタイプの飲み屋さんですけど、
天満酒場
おでんの前に陣取り
生ビールでのどを潤しながら
すがきをつつき
あつ燗をあおりながら
おでんをつつく
さらに、あつ燗を飲み干しながら
おでんをつつく。
最後はうるめをたのむが、
なぜかスルメがでて、ご愛嬌。
さあ、家路を急ぐことにする。
年末 梅棹忠夫先生の番組がやっていて、
録画したものをみて、、
断片的にまとめ
なぜ、人間は文明との競争におちいいたのか。?
論理的にものをつくれば大丈夫という考えが危ない!
フェイルセーフは事故が起きても止まる。という電力会社の社長の言い分に対して、
人間は何をするのかわからない生き物。いろいろ手を尽くしてもそれを裏切るようなことが起きる。人間こそが予想外の問題を引き起こす。(放射線が人が住めない環境をつくる。)
山折哲男さんが、人間に文明は自然にひとたまりもない。人間がちっぽけとか、自然がでかい。(というのは、誰も感じるところだが、、という前置きをして)
自然が自然を破壊(寺田虎彦) 天然の無常を日本人は太古からうけいれていた。
無常三原則
永遠のものはない。形あるものはこわれる。人間は死ぬ
この原則は、日本人はうけいれる。西洋人は客観的事実としてうけいれているだけである。
安定した自然の西ヨーロッパと、日本の荒れくるう自然に対して、つちかわれてきたものとは違う。
日本人の無常感こそが、今回の日本人の静謐さを体現したもので、日本人が西洋人からみたところの、静かなる威厳ではない。
放射線の問題は人間の欲望なしには、語れない。(反対派も推進派も)
人間と環境を考えた場合、人間が作り出したものが、循環できる社会である必要性がある。すなわち、循環しない創造物は危険である。
自然の驚異に対峙するのでなく、受容する姿勢。
選別の社会からの離脱(西洋は選別の社会だという。)
1954年アマチュア思想宣言 思想はつかうべきもの
文明は制度であり装置である。
あわなくなったシステムのほころびを修繕することなく走ることの危険。
今日のダイジェスト
明日はいちご狩りでも話そうか?
by zuitoshou | 2012-02-02 06:34 | グルメ