人気ブログランキング | 話題のタグを見る

辻原登さんの講演

今は昔2011年1月21日土曜日 仕事の後、
大阪府医師会の文化講演会
辻原登さんの話をききに、
忘備録なので、適当に読んでください。
辻原登さんの講演_a0194908_2102318.jpg


講演の要点

ひとつは日本語の発生にかかわること。
大昔、やまとと言われる国には話し言葉としてのやまと言葉が存在したが、文字がなかったと考えられる。大陸から伝わった文化の中に、漢語(漢字)という外国語があった。その外国語の発音をやまと言葉にあてていくような作業から、音読みという文化が発生してきた。(漢文の杜甫の春望や孟浩然の春暁などを例に)文法の違いという障壁をこえて、形成された日本語は奇跡的。
一方で、文化はさらに、進化をすることで、文字に訓読みという手段を産み出すことに成功する。すなわち、雨は音読みではウだが、訓読みはあめというようなこと。
それによって、日本語はより豊かな言語となったということ。さらに、そこに至るには、膨大な時間と選りすぐられたる英知と勇気が投入されたのであろう。
その、日本語をもって、我々は、過去の歴史や言語や文化とシンクロすることが可能になっている。
辻原登さんの講演_a0194908_2105421.jpg


2つめは、2004年に中国で発見された有名な井真成の碑文です。
この文章がとても格調高い文章であるということ。

原文
贈尚衣奉御井公墓誌文并序
公姓井字眞成國號日本才稱天縱故能
■命遠邦馳騁上國蹈禮樂襲衣冠束帶
■朝難與儔矣豈圖強學不倦聞道未終
■遇移舟隙逢奔駟以開元廿二年正月
■日乃終于官弟春秋卅六皇上
■傷追崇有典詔贈尚衣奉御葬令官
■卽以其年二月四日窆于萬年縣滻水
■原禮也嗚呼素車曉引丹旐行哀嗟遠
■兮頹暮日指窮郊兮悲夜臺其辭曰
■乃天常哀茲遠方形旣埋于異土魂庶
歸于故鄕
辻原登さんの講演_a0194908_2111546.jpg


訓読文
贈、尚衣奉御、井公墓誌文、并序。
公、姓は井、字は眞成、國號は日本。才は天縱に稱ひ、故に能く命を遠邦に■、騁を上國に馳せり。禮樂を蹈み、衣冠を襲ひ、束帶して朝に■、與に儔び難し。豈に圖らんや、學に強めて倦まず、道を聞くこと未だ終へずして、■移舟に遇ひ、隙奔駟に逢へり。開元廿二年正月■日を以て、乃ち官弟に終へり。春秋卅六。
皇上■傷して、追崇するに典有り。詔して、尚衣奉御を贈り、葬むるに官をして■せしめ、卽ち其の年の二月四日を以て、萬年縣滻水■原に窆るは禮なり。
嗚呼、素車は曉に引きて丹旐哀を行ふ。遠■を嗟きて暮日に頹れ、窮郊に指びて夜臺に悲しむ。:其の辭に曰く「乃の天の常を■、茲の遠方なるを哀しむ。形は旣に異土に埋むるとも、魂は故鄕に歸らんことを庶ふ。」と
辻原登さんの講演_a0194908_2114027.jpg


意味
姓は井、字(あざな)は真成。国は日本と号す。生まれつき優秀で、国命で遠くにやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。
ところが思わぬことに、急に病気になり、開元22年(734年)の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。
皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない


この井真成は、どうも、717年の遣唐使で、19歳で留学したと考えられるが、日本側には、身分の低いものの記録はないこと。(タイタニックの2等みたいなものかな)そのときは総勢557名であったこと。わっかてる。ほかには、玄昉、吉備真備、阿部仲麻呂(20歳)などがいた。彼ら、貴族は、高等教育をうけ官職に就いた。井真成は身分の関係で、それほどの教育の機会はえなかったと考えられる。
では、この急死した留学生の碑文は誰が書いたものかという謎。

遣唐使はいわずとしれた、630年から菅原道真の建議で廃止される894年まで都合20回あまり、派遣されたと伝えられている。その予算は、かなりのものであったと言われている。

なかでも阿倍仲麻呂は帰国がかなわなっかたわけだが、
科挙に合格し、玄宗皇帝に重用され、皇太子の教育係や図書館長的な役目にまで出世している。かれは、最終的には安南節度使〔ベトナム地方長官〕にまで出世している。そんな、阿倍仲麻呂と井真成は似たような出世コースを歩んでいたと推測される。もしくは、出世コースからははずれてほそぼそと暮らしていたのかもしれない。。。
したがって、この碑文は、玄宗皇帝の新任も厚かった阿倍仲麻呂が友人である井真成のため(1歳違いですからね)に書いた碑文ではないだろうかという話。。
辻原登さんの講演_a0194908_2121089.jpg


3つ目の最後のもう一点は、この阿倍仲麻呂の有名な和歌に、
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かもというのがある。実は、この歌は905年に醍醐天皇の時代に古今和歌集の中に編纂されている。しかも、この歌は、望郷の歌と解釈されている。一般的には、玄宗皇帝から帰国を一時的にゆるされ、明州から日本に帰国の途に着くときに読んだとされる。
そのときは、帰国船団に、藤原仲麻呂のおいの藤原清河や吉備真備や鑑真がいた。結果、阿倍仲麻呂の船のみ、沖縄で座礁し、ベトナムに流されたと伝わる。当時の阿倍仲麻呂は56歳であった。帰国のラストチャンスだ。
このときの遣唐使の主目的は鑑真をつれてくることと阿倍仲麻呂を帰国させることであったという。
では、なぜ、この望郷の歌が、当時の帰国した人々から、これが阿倍仲麻呂が読んだのだと日本に伝わらなかったのかということに疑問を投げかけている。というのは、このとき、日本に、阿倍仲麻呂の歌として伝われば、万葉集の編纂に間に合ったというのだ。まして、一級の歌人であり(李白などとも親交があった)、官僚であるこの仲麻呂のうたを、帰国して日本に伝えなかったことこそありえないのでは、ということを言っておられた。したがって、そのときに詠んだ歌ではないのではないか。もっというと、ほんとに、阿倍仲麻呂が歌ったうたなのか。
仮に、彼が歌ったとして、なぜ、160年後、阿倍仲麻呂の歌として古今和歌集に編纂されることになったのか、、??そうなると、うたの解釈も変わってくるなあ。という話です。
辻原登さんの講演_a0194908_213417.jpg


そのようなことが内容でした。
非常におもしろいお話でしたわ。。
作家のいろいろな内容に思いをはせるエネルギーを感じました。
彼は、和歌山の熊野のひとで、教育大付属天王寺に通学していたそうです。
ちなみに、医師会に行くまでに井原西鶴の墓の碑がありました。
辻原登さんの講演_a0194908_2145558.jpg


明日は今年初訪問のきよた
辻原登さんの講演_a0194908_141907.jpg


同じ日にNHKでのアンジェラアキの番組
ジャニスイアンの歌がやっていた。なつかしい。

Will you dance?


You are love
復活の日
これで、ジャニスイアンを知りましたね。。僕は


Love is blind


Head light Tail light
中島みゆきの

by zuitoshou | 2012-01-27 06:03 | 読書、歴史