奈良マラソン2011 後に 結局とん太に
先週から続いた奈良マラソンがらみもようやく終り、
今は昔2011年12月11日ですが、
走ったのち、
球場をあとにするわけですが、
その前にヨシケイのブースの
鶏肉塩だれ焼きです。

200円で、おっちゃんが作ってくれます。

そのあと、駅に変えるのに、
なんともぐるっと回らなければならず、、
足も痛いので、、
誘惑に負けて、バスに乗ってしまいました。
途中、奈良ドリームランドが廃墟と化しておりました。

その後、みなと、JR奈良駅で落ち合い、
車で、温泉につかり、
いきなり、サウナにはいるという暴挙を
おかしながら、
水風呂で、下半身を冷却、、、

車で大阪に戻りましたが、17時とはやがけすぎて、
店がなかなかないなあ、ということで、
とんかつやにいくことにしました。
京橋のとん太です。
ハンバーグに

盛り合わせに、

ぶたしゃぶに、、、

野菜

先週気になったのはこのニュース
日本書紀や万葉集に登場しながら所在地が不明だった古代のダム「磐余池(いわれいけ)」
とみられる6世紀の池の堤跡が奈良県橿原市東池尻町で見つかり、
橿原市教育委員会が15日発表した。
池は国内最古で、堤跡の上では、大型建物跡も発見された。
磐余池のほとりに造ったとされる聖徳太子の父・用明天皇の
「磐余池辺双槻宮(いけのべのなみつきのみや)」の可能性を指摘する研究者もおり、
飛鳥時代以前に大和王権の中心地にもなった「
磐余」地域の歴史を解明する大きな手掛かりとなる。
市教委によると、見つかった堤跡は80メートル分。
低い丘陵の上に土を積み重ねた構造で、高さは池の外側で約3メートルと推定。
堤は周辺地形から、全長330メートル、最大幅55メートルの規模とみられるという。
池の面積は8万平方メートル前後とみられ、こ
れまで最古とされた7世紀初めの大阪府・狭山池の3分の1程度の池だったらしい。
大型建物は南北17メートル以上、東西4メートル。
時期が6世紀後半ごろで、用明天皇の「磐余池辺双槻宮」の時期と重なる。
朝鮮半島由来の大壁建物と呼ばれる6世紀後半以前の建物跡も見つかり、
土木技術にたけた渡来系集団が池を造ったとみている。
日本書紀などは、「磐余」の地名を冠した4人の天皇の宮や池にまつわる物語を伝える。
万葉集は、謀反の罪に問われた天武天皇の子、
大津皇子が磐余池の堤で詠んだとする辞世の歌(巻3・416)を載せる。
調査した平岩欣太文化財課保存係長は「調査地西側にも建物が想定される。
継続調査で池の実態を明らかにしていきたい」と話す。

<和田萃・京都教育大名誉教授(古代史)の話>現場周辺は池を造るのに適した場所。池にまつわる小字名も残り、磐余池とみて間違いないと思う。大型建物跡は池を眺めたテラスのような施設の可能性もある。
<上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話>東アジアの宮殿庭園をモデルにした池で、見る場所で変化する景観を天皇が楽しんだのだと思う。当時は有名な池だったので、大津皇子もここで歌を詠んだのではないか。
by zuitoshou | 2011-12-20 15:57 | ゴルフ、自転車、ランニング