鯨話2 グローバル化は文化、習慣の寛容から

今は昔2009年4月25日
博多で食べた鯨です。
2年前の学会の時に食べたものですね。
これおいしかったのね。
今年もここにいけばよかった。
店の名前???記録ないのです。
a0194908_13323277.jpg


さけてとおれないくじらに関して。
この文章はたしか、2月ごろ書いたものなので、

くじらに関してですが、
どうなんでしょうか。

くじらに対するパッシング。
筋違いかも知れないけど

オーストラリアという土地を現地人から奪ったあなた方はいったいどうなの?
そんな、高尚な人間なの?

くじらをとる事に反対するのは自由ですし、
討論の場で、どうするか決めることは、問題ない。
しかし、取っている船に武力を振るうもの。
それを、容認する国家。
それは非難されるべきである。

捕鯨をめぐる問題は
より複雑化しているが、

町を開発して、くずれていく生態系の中の生物は、
不可抗力的な絶滅種としていいのか。

なぜ、くじらだけだめなのか。

よく、ヨーロッパも、昔から鯨の脂とってたやないかという議論をふっかけたら
結局は不毛に終わり、
昔、先進国は二酸化炭素さんざん廃棄して、今規制しているやないかという議論と同じで、
これから、地球で、どうするか考える必要がある。

そういう意味では、
鯨も冷静な議論のもとに
どうするかきめるしかないな。
それがグローバル社会なのでしょうね。

鯨問題は、グローバル社会のなかでの、
回遊する海洋資源をどうするかと
いうことなのでしょうね。

グローバル化というのは、
いろいろな文化、習慣への寛容さがあって成り立つもの
今の人類にはまだ、ハードルが高いのかな。
a0194908_1334486.jpg

[PR]

by zuitoshou | 2011-10-09 06:00 | 徒然草